Lacrimosa <冒頭>



 追われている。
 追われたらとりあえず逃げるものだと教わっているので、遊戯は全速力で逃げていた。
 だが、まだ十歳になったばかりでは、大人の足から逃れるのは難しい。
 それでも、生来のすばしっこさに、産まれてからずっと追われている記憶ばかりで機知に富んだので、あと少しで追っ手を振り切れそうだったのだが、舗装されていない砂利道に足を取られて転び、再び追っ手に姿を捕らえられていた。
 転んだだけなら、こんなに距離を詰められてはいない。詰められたのは、転んだ拍子に手にしていたカードをばらまいてしまい、それを拾い集めていたためだった。
 決闘(デュエル)というカードゲームが最近流行りだしていて、遊戯はやっとのことで買ってもらえた追加のパックを見捨てることはできなかったのだ。
 漁村に不似合いな黒づくめの男二人が追ってくるのに、遊戯は平地にひしめくように建っている住居の間を抜けていく。
 それでも、まだ追っ手の怒号めいた声が近くで聞こえて、遊戯はたまたまそこにあった寺院かなにかのような重厚な門が薄く開いていたため、その中に飛び込んだ。
「―――なんだ、貴様は!?」
 転がり込むようにして門を入ってきた遊戯に、ほんの一瞬の間のあと、落ち着いた冷ややかな声が上から降ってくる。
 視線を上げた遊戯は、そこに今、門を閉めようとしていた少年の姿を認めた。
 なんて、綺麗なのだろうと、思った。
 背は、遊戯よりも高い。
 漁村のため日焼けしている人間しか見ないというのに、抜けるような白い肌、すらりとした手足、そして咎めるように見下ろしてくる瞳は海と空の蒼の色。
 まるで、西洋人形のよう、だと思った。
 言葉すらなくして見入っていると、振り切りかけていた追っ手の声がすぐ近くで聞こえ、遊戯は我に返った。
 開いている門ならば中を見られるだろうと、内に開かれている門扉の後ろに身を隠す。
「おい、そこのガキ!!」
 門の前まで来た男が、目の前の少年にそう声をかけるのに、遊戯は辺りを見回した。庭は広く、家屋も大きい。逃走経路を頭の中で巡らせる。
「派手で奇妙な頭をしたガキが来なかったか!?」
 怒鳴りつけるように男が聞いてくるのに、遊戯は思わず身を固くした。どうやっても、派手で奇妙な頭をしたガキは自分しかあり得ない。いや、もう一人いるがこの状況ならどうやっても自分しかあり得ないだろう。
 だが、少年は返事をせず、門の後ろに隠れる遊戯に視線を向けもしないでいる。子供とは思えぬ落ち着きで、威圧感のある男に平然と対峙していた。
「おい、聞いてるのか!?」
 なにも言わずにいる少年に腹を立て、男の一人が声を荒げる。
「来てません。ボクが門を閉めに来たときから、この前の道にはあなた達以外は誰も通ってません」
 頭ごなしに怒鳴られて、少年はそうしっかりとした口調で、真実とは違う答えを返していた。
 答えを返した少年に礼の一つも言わずに、舌打ち一つ残して男たちは立ち去っていく。その背が少し遠くに行くのを見送ってから、少年は静かに重い門を閉じた。
 それに、やっと遊戯は無意識に詰めてしまっていた息を一つつく。
「助けてくれて―――」
「助けたつもりなど無い。あいつらの言い方が気にくわなかったから、オレの意志で、ああしだけだ」
 礼を言おうとした途中を遮られ、遊戯は肩を竦めた。少年の表情からは、遊戯に気を使っているのではなく、本当に男たちに立腹しているのだと見て取れた。怒気を含んだ蒼の瞳はギラギラと輝き、今にも爆ぜそうな危うさを秘めているようで、とても綺麗だった。
「それでも、ありがとな」
「礼などいい。さっさと出て行け」
 出ていくにも門は閉められてしまったから、どこから出ようと思っていると、少年は門の隣のちいさなくぐり戸を薄く開けた。
「言われなくても、出てくぜ」
 自分が不愉快な存在で侵入者であると思いつつも、少年のあからさまに不愉快だと言う口振りと態度に少しだけ腹を立ててそう言い返すと、遊戯は薄く開いたくぐり戸から、外の様子を伺った。
 人通りはまったくなく、男たちの気配もしないため、そのまま外に出ようと一歩踏み出した、そのとき。
「貴様、それは………」
 貴様とか言う小学生はイヤなものだと思いながら振り向くと、少年の蒼は遊戯の左手に食い入るように向けられていた。
「これ?」
 そう言えば拾い集めたカードをポケットにしまう余裕すらなかったと、そのときになって気づく。
「デュエルを、やるのか?」
「―――お前も?」
 君と呼ぶか、お前にするかで一瞬迷ったあと、貴様と呼ばれているのだから、お前でいいだろうと、遊戯は判断した。
 いくらカードが流行っていると言ってもそれは都会でのことで、田舎の漁村では子供たちがその存在を知っていても、実際それを入手する手段がないから、流行りようもない。
 実際、この村ではカードを売ってはいないし、この村では遊戯のデュエルの相手は、現在、母と共にやっかいになっている、母の父―――つまり遊戯の母方の祖父―――の実家である家の子供の一人しかいない。それも、遊戯が土産として持参したものと自らが所有していたカードを分けたりしたものなので、まだまだいい勝負とはいかないでいる。
 本来ならカードのルールを覚えるのでも精一杯のはずだから、なかなか勘のいい方なのだが。
 人に教えながらでもカードができるだけで楽しかったが、物足りないと言えばそれは物足りない。
 目の前にその相手がいるかも知れないとは思ったが、態度が失礼すぎるのと、不法侵入している立場としては、その先は遊戯からは言い出せなかった。
 あと、デュエルをしてくれ、と頭を下げるのが気分的にイヤだったのもある。
 少年の方も同じようなことを考えていたのか、遊戯をじっと眺めていると、その膝の辺りに視線を止めた。
 転んだ際に、膝に少しだけ擦り傷ができているのに、遊戯はその視線で気づかされる。
「手当をしてやってもいい。そのかわり一回デュエルに付き合え」
 そう尊大に言い捨てて、家の中に通してもいいかどうか見極めるように、少年は遊戯の上から下までを見定めるように見てから、家屋の方へと足を進めた。
 ついて来いとも言われなかったが、遊戯はその背を追う。
 庭はきちんと手入れされていて広く、漁村の中では浮くほどの立派な家屋は大きくて、建物もだが家柄も古そうである。
 その古めかしい表札には“海馬”と書いてあった。
 入れともなんとも言われなかったが、遊戯は少年のあとを追って、家の中へと上がり込み、予想以上のデュエルに一回と言った勝負を何度か繰り返していた。



つづく...