恋するショコラ <抜粋>



 レアな海馬といえば、学校にいる海馬というのも、レアである。その海馬といえば、ホームルームの最中も、依然としてノートパソコンで作業中だ。
「せっかくおよばれできるんだから、少しは友達めいたこともすればいいのに」
 友達以上の関係めいたことだってすればいいのに、とまたその目が語っている。遊戯と相棒の距離は近すぎるから、意味ありげに臭わせなくても、口にしなくても伝わってしまう。
『ちょっと海馬のトコ行ってくるぜ』
 チャイムの一音目とともに数学教師が入ってきたのに、遊戯がそう呟いてふわりと浮いた。
「あ、一人だけずるい」
 気づかれないように背も追わず、声にはしなかった呟きにも、神経質な数学教師は気づいたのか、咎めるような視線を相棒へと寄越す。その視線を茶化すかのように、遊戯は後ろへ行きかけたのを前へと戻ってくると、数学教師の真っ正面に立ってその神経質を絵に描いた顔を睨みつけ、指でピストルを作ると打つ真似をした。が、もちろん数学教師には見えるわけがなく、相棒が笑いを懸命にこらえているだけだ。
 その相棒の横を重なるようにして通り過ぎて、遊戯は律儀に机と机の間を歩くようにして、海馬の席へと向かった。
 海馬はホームルーム前からと変わらず、ノートパソコンで仕事中だ。神経質という割には数学教師は咎めようともせず、海馬のことは視界に入れていないようだった。もちろん、海馬の方も数学教師の言うことも存在も気にしていないだろう。
 童実野町は海馬コーポレーションの城下町というもので、海馬コーポレーションとともに発展してきた街だから、その力は絶大らしい。
 その辺の感覚が遊戯にはよく分からなかったが、とにかく海馬が偉いのだと言うことだけは理解していた。学校側は海馬に気を使っているというか、校長の方が海馬に遜っているらしい。
 机の前まできても、海馬は遊戯に気づかない。当たり前だが、少し寂しい気と、少し楽しい相反する気持ちが一緒にある。
 じっと、海馬の顔を覗き込んでみた。海馬の視線は画面にあるから、海よりも空よりも綺麗な蒼は、捕らえることができない。
 目の前で手を振って見せても、なんの反応もない。
 遊戯が側にいて海馬がなにも反応を示さないというのは新鮮で、なかなか楽しかった。遊戯が近くにいると海馬は好戦的か不愉快か、だいたいそのどちらかだ。
 やっぱり、関係性を示す言葉としてアレは適さない気がした。
 折角なので、普段は絶対にできないことをしてみようと思い、隣に座るようにして、寄り添ってみる。空気椅子状態でも、浮いている遊戯には負担はないのだが、なぜかしんどい気分がして面白い。海馬の横にいられるという状況もめずらしく、これもなかなかに楽しい。
 遊戯だけではなく、海馬は人を近づかせない。横に座るなど弟のモクバ以外ではあり得なく、特殊な関係にある遊戯ですら、隣など許されたことはなかった。
 唯一の例外といえば、海馬が前後不覚になっているベッドのなかの、意識を失っているような状況だけである。
 それは隣に座るよりもレアではあるから、隣に座ることは許されてなくても、近くにいることは許されているのだと思う。ただし、海馬にとってはベッドのなかの行為は、レアではないらしかった。そのことを考えると、いつも胸の奥が苦しくなる。
 たまに相棒が城之内にされている、肩を組むという友情っぽいこともしてみるが、当然海馬は気づかない。
 見えないことが当たり前なのに、そのことに、少しだけ切なくなる。
『こんなふうに遊びたくなるくらい、お前のこと好きなんだぜ?』
 聞こえないはずの声で囁いてから、遊戯は海馬の正面へと回ると、ノートパソコン越しにゆっくりと海馬に顔を寄せていく。
 体温など感じないはず。なのに、近くなる海馬の肌の体温、薄く開いた唇から漏れる呼吸、それらが感じられた気がする。
 このまま触れたら、唇の感触が伝わる気がした。
 唇が触れ合おうとしたその瞬間、海馬は羽虫でも払うように、遊戯の顔を手で振り払った。払うといっても、遊戯の顔を素通りしただけなのだが、そのあまりのタイミングに、遊戯は顔を引いた。
『見えてる、のか?』
 思わず漏れ出た言葉が聞こえているはずがない。だが、海馬は画面から顔を上げ、まっすぐに前を見た。
 真正面にあった遊戯の紅が、海馬の蒼に捕らえられた。
 そんな気がした。
 それでも、その視線はすぐに下げられ、画面へと向かっていく。
『偶然、か………』
 遊戯はそう呟くと、海馬の額にかかる鬱陶しげな前髪をかき上げる───ようにした。指先に、感触は伝わらない。額の髪はかき上げられることもなく、一筋の髪も乱れることはない。
 それを認めて、遊戯は深くて長いため息をもらす。相棒にだって触れられないのだから、遊戯にとってこんなことは当たり前だ。なのに、胸の奥が締めつけられるような気分になる。
 痛みとは違う苦しさに、遊戯はそのまま姿を消した。
 そして、遊戯が消えたそのあと。
 海馬は画面に視線を落としながら、前髪に軽く触れた。
 それは、まるで乱れた前髪を直すかのようだったが、姿を消して千年パズルのなかに戻った遊戯が見ることはない。



つづく...